見守りから始まった

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私の父は、『進行性核上性麻痺』*略称PSPを患っています。
10万人に約5人の発症率の難病中の難病です。
難病指定も5と高く、パーキーソン病に似ていますが、また別で違う病のようです。

発症から2~3年で車いす。4~5年で寝たきりに。平均的な生命予後は5~9年。
もちろん個人差はあります。

原因不明で治療法も見つかってはなく、薬やリハビリで症状を遅らせる程度です。

数年前に自宅で倒れ救急車で運ばれました。
心臓の疾患で、ほぼ脈がなかった危ない状態でした。
運ばれて入院し、色んな検査を受けて、ペースメーカーを胸に埋め込むことになりました。

リハビリも終えて退院。でも少し心配ごとが。同時に難病のパーキンソン病の発病疑いが。
その後の検査で『進行性核上麻痺』と診断されました。

その頃の父はまだ、おぼつかない部分もありましたが、大体のことは自分の力で出来るくらいでしたし、表情も豊かでした。
病気の進行も、薬が合っていたのもあって、ゆっくりで、まだ京都の自宅で仕事(通勤)をしていた私は、休みの合間に会いに行く程度でした。

そして4年前、再び救急で入院。その時は心臓のペースメーカーの交換。進行性核上麻痺も進行していることも告げられ、
薬以外特に進歩的な治療法もない為、自宅での介護を勧められました。

そこからです。

私の見守り介護が始まったのは。

京都の自宅を一人出て、実家の近くにセカンド住居を構えました。
仕事は、当時の店長に相談して、パートでは有り得ない転勤という形で、店を変えて続けて働けるようにしてくださいました。
この行動に対しては、色んな外部からの偏見や疑いなど向けられました。私には色んな迷いや怖さもあったし、勇気もいりました。
でも、なんか、“今”だ!という声が聞こえたみたいで。

自分自身の家族と生まれ育った家族と。全く価値観も違うし。大変な思いもしましたが、良く理解してくれた息子たちに私は感謝しています。
強引やったかもしれないですが、京都と滋賀の半分半分の生活が始まりました。

今や夫も実家のお母さんの介護を決め、東北~関東に住むことになりました。子供たちも、京都・大阪と家族バラバラ。
なるようになったというのが自然です。そら、明かせない色んな事、ありました。

父と母、ご本人たちが、まだ介護なんてと思う時期の、その娘や息子との距離感って本当に大事で。

もう!やりにくいったら!

介護に関する提案をしても、まだそんな事要らないとか他人が家に来るのは嫌いだとか、自分達でできるからほっといてとか。。。。
しょっちゅう言い合いしてました。

離れて住居を構えて良かったと思いました。

まだ仕事していたし、新しい場所での生活ルーティンを確率するのも結構なストレスで、職場の人間関係や仕事の内容、方針が前の職場と全く違っていたのも悩みました。衣料関係の職場で約12年(アルバイトをいれての勤務期間20年)でしたし、ご本人たちは気づかないけど年々年をとっていく両親を見ながら様々なことを考えて、そろそろ。。。

そんな時、このコロナウイルス感染拡大という世界的な出来事が重なって、仕事を離職することに。
同時に積極的に介護に関わるようになりました。そこで知ったのは、家の中が(実家)ぐちゃぐやであるということでした。

とにかく、できてないことが多くて、私たちには内緒にしていたことがいっぱいあって。

一から介護方法を見直し、自分たちが受けられるサービスを快く受けて、難病を理解して、より良い介護生活を過ごす事を説得しながら、今までより首を突っ込むようになりました。そう、介護について勉強するようになったのです。

見守りから始まったけど、そうは言ってられなくなった。からです。

昨年の春~秋に、父の様態に変化が。
急に病気の進行が早くなって来たのです。薬の効果が効かなくなってきたのです。

PSPが進行すると、排せつ障害・大幹の筋肉の硬直・しゃべりにくい、飲み込みにくい・歩行障害・認知機能障害・表情がなくなる・眼球運動障害・無言、無動。。。。。などなど。

いっぺんに悪くなりました。

栄養も体に取り入れる力もなくなるため、褥瘡もできやすくて化膿しやすくなります。寝返りが出来なくなる為です。

昨年の年末に入院転院、ほぼほぼ全介護で新しい病院に入院しました。嚥下障害のリハビリを受けながらの生活です。もう自宅での介護は難しく、このコロナ禍でペースメーカーを付けて難病を抱えながらの父を受け入れて下さった病院には本当に感謝です。

コロナ禍の面会は、非常に厳しい条件です。
月に一度だけ。対面ではなくてリモート(zoom)。時間は5分間。予約がいりました。
眼球を動かすのも大変なんかな、視線が合わないし、無言で無表情でした。こんな状態でのリモートはキツかったです。
確実に進行していることが、素人の私でもわかりました。

入院をして、体力を使うことは無くなったものの、気持ちが重いです。ずーっと胸の中が痛い。

難病のPSPの事をもう一度読み直して、どんな最期が待っているのか…..頑張って読みました。覚悟はしとかないと…..

介護は病を患っている本人だけではないです。
父に寄り添ってきた母の存在も大きいです。
自分のやり方にこだわってきた分、融通がきかず周りが本当に大変でした。しかも母自身ももう高齢です。

家族という、小さなコミュニティ。他人より、遠慮が無い。血肉の争いと言われますが、親が子に、子が親にいう言葉なのかと思えるワードが飛び交います。姉妹でも価値観の違いを感じます。

皆思いは同じだけど、それそれの立場や考え方の違いでもめるのです。
でも、揉めて、思いをいいやって、分裂してこそ見えてくる事も多くありました。
胸が痛くなるけど、なんか大切な時間なのかな とも思えます。

私はこの年末年始に、疎遠になっていた(母が隠していた)親戚に手紙を送りました。
父の兄弟姉妹からは、「知らせてもらって、嬉しかったです。」と連絡が来ました。報告されてなかったのですね。
それも知らなかった。見てなかった部分は多くあって。離れて暮らしていたから仕方ないのですが。

本当に積極的に介護ということに向き合ったのは昨年からでしたが、とっても濃い時間です。
たくさんの人と多くの時間話をしたり、知識を得たり、全く縁がないと思っていたことに携わることになりました。

介護は急にきます。健康だと思っていても、何かのきっかけでお世話になることもあり得るのです。

介護はこんなですと、一言ではお伝えできないのですが。

本当に多くの人が関わっていて、医師・看護師・介護士・ヘルパー・保健所などなど皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。本当に。

まだまだ、続きます。

今週、父は88歳になります。

見守りから...見届けるに移っていくのでしょうか。

私にできること、探しながら。今年も、京都と滋賀の2拠点生活、続けて行こうと思います。








この記事を書いた人
Rie

1964.2.7生まれ/個人数秘 ⑦⑪⑨/カラータイプ ペール/活動範囲 滋賀 京都 大阪/料理好き/アベンジャーズ好き/好き嫌い無し/楽しいことが好き/自由人/息子は友達/あるべき自分よりありのままの自分でいたい/ちょっと頑固/妄想好き/マッサージが得意

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